妙義神社(みょうぎじんじゃ)の文化財(ぶんかざい)


妙義神社(みょうぎじんじゃ)(本殿、幣殿、拝殿、唐門、総門)
附神饌所、透塀、棟札、銘札、旧屋根銅瓦


本殿、幣殿、拝殿


本殿


本殿天井
(指)国指定重要文化財(昭和56年6月5日指定)
(在)富岡市妙義町妙義
(有)妙義神社

 妙義神社は古代は波己曽(はこそ)神社と呼ばれ、『三代 実録』の859(貞観元)年の条に「授上野国正六 位上波己曽神従五位下」とあるのが最も古い記 録で、妙義山を神として祭ったのにはじまり、 波己曽(はこそ)は岩社(いわこそ)の意という。1030(長元3)年こ ろ上野国司によって記された『上野国交替実録 帳』には他の神社のように社殿の記載がなく、 「勲十二等波己曽神社、美豆垣壱廻、荒垣壱廻、 外垣壱廻」とある。神の依代(よりしろ)となっていた岩に 三重の垣を廻らしていた。その依代の岩は、現 在の妙義神社の本殿北の影向岩(えいごういわ)であったと考え られる。波己曽社は以前この岩に接してあった。 波己曽神から妙義神への変化は、中世の神仏習 合が進み、この岩神の本地を大日如来とするよ うになって、仏教的な神名に変わったようであ る。古くから朝野の信仰も厚く、近世になると 東叡山寛永寺の別院元光院の兼帯となり復興し、 1636(寛永13)年以来寛永寺座主輪王寺宮の隠 居所となり、社殿の修覆をはじめ、多くの宝物 の寄進もあり、現に仏教関係の宝物で名品も多 い。主な宝物には国指定重要文化財『紙本著色 地蔵菩薩霊験記』と割五鈷など中世の密教具・両界 蔓陀羅・円空作不動明王等がある。また、社殿・ 石垣等は近世の社寺建築を代表するもので、国 および県の重要文化財に指定されている。

 紙本著色地蔵菩薩霊験記(しほんちょしょくじぞうぼさつれいげんき) 昭和34年6月27 日国指定重要文化財。中世地蔵信仰の発展を背 景に各種の地蔵霊験絵巻物が描かれるが、この 霊験記は中国宋代の沙門常謹(じょうきん)が989(永祚元) 年に撰した地蔵霊験4話を題材とした絵巻物で、 詞書はない。中世地蔵信仰普及の絵解きに使用 されたものであろう。同種のものでは国所有の ものより古様であり、鎌倉時代末の製作と考え られる。全1巻、法量36.5×537.6a。

 妙義神社(本殿・幣殿・拝殿・唐門・総門) 附神饌所(しんせんじょ)・透塀)昭和56年6月5日国指定重要 文化財。本殿および関係建造物は、1656(明暦 2〉年に萱葦をとち葺に改めて社殿の形式が整 えられた。現社殿は1757(宝暦6)年の大改修 になるもので、「遷宮宝暦六丙子年十二月朔日」 銘の棟札があり、このとき以来銅板葦の権現形 式の社殿となる。本殿は入母屋造、桁行3間・ 梁間2間・一重で、4.666×3.940b。内部は折 上格天井(おりあげごうてんじょう)、各間毎に菊花の極彩色が施され、出 組三斗。棟梁は飯村杢允藤原久敬・松本播磨藤 原住房、彫物師・塗物師(32人)・錺(かざり)工・鋼屋根 職人は江戸から、鋳物師は下野佐野、石工は信 州高遠(26人〉などから集められた。幣殿は桁行 3間・梁間1間の両下造(りょうさげづくり)で、6.046×4.666b、 本殿と拝殿をつなぐ。内部は格天井、その各間 には百草が描かれ四隅に宝相華文を描いている。 拝殿は桁行3間・梁間2間の入母屋造で、9. 272×4.590b。正面屋根には千鳥破風がつき、 その下に向拝部の唐破風屋根がつき出している。 周囲の側面は横桟の板戸、正面一間は三折両 開棧唐戸(みつおれりょうひらきさんからど)。向拝部(ごはいぶ)を繋ぐ海老虹梁(えびこうりょう)には、龍の彫 刻があり、軒は本殿同様二重繁垂木、三手組、 袖障子には竹林七賢人の彫刻がある。神饌所は 桁行5間・梁間1間・唐破風造。背面は幣殿お よび拝殿に接続してつくられ、妻入りになって いる。透塀(すきべい)は幣殿と本殿を囲み、折り曲の延長 は28間。本殿背後に門が一カ所つくられ、そこ には宝暦年間につくられた現社殿より古い時代 の蟇股(かえるまた)が用いられている。唐門は桁行1間・梁 間1間・妻部は唐破風の平入の門で、貫頭の木 鼻は菊花の籠彫、戸の板面は薄肉彫の鳳凰の彫 刻などが施されている。世良田東照宮の唐門と ともに、県内では最も優れた唐門である。総門 は3間1戸の八脚門、切妻造で、平面積62,358 平方b、棟の高さ11.659bの大きな門である。 この門は江戸時代には当社の別当寺の仁王門で あったが、神仏分離により総門に改められた。 屋根は最近まで檜皮葺であったが、今回の修理 により創建時の銅板葺に改められた。

 妙義神社波己曽社殿、石垣。1968(昭和43) 年5月4日群馬県重要文化財指定。波己曽社は 妙義神社の元社である。永年腐朽にまかせ、拝 殿は分離され妙義神社の神楽殿として利用され てきたが、1969く昭和44)年、銅鳥居脇の養蚕 社の位置に復原された。本社殿は妙義神社社殿 より一時代前の様式をもった建造物で、入母屋 造で正面屋根に千鳥破風をもった拝殿、それに 幣殿・本殿が接続し、完全に原型に復した。石 垣は何期かに分けて造られたが、総門脇の巨石 を使用した精巧な石積は本県随一の石垣である。 石垣に刻まれた銘文は、本社前は「延享元甲子 六月、石階造修工武州江府霊岸島近藤利兵衛」、 随神門下の石段は「宝永二乙酉歳霜月吉祥日」、 総門前石垣に「明和六暦丑」と刻まれている。 また宝暦6年銘の棟札には「信州高遠石切二六 人、江戸石切一人」とあるから、1705〈宝永2) 年から1769(明和6)年までの半世紀にわたっ て築かれたようである。なお、165段の石段上の 随神門は、3間2間の単層切妻造で、左右表間 には随神がおかれ、木鼻などよりみて寛文期の ものと推定される。

拝殿の龍の彫刻 波己曽社の組物 神饌所

透塀 総門

唐門 随神門

妙義神社波己曽社殿(みょうぎじんじゃはこそしゃでん)
(指)県指定重要文化財(昭和43年5月4日指定)
(在)富岡市妙義町妙義
(有)妙義神社
紙本著色地蔵菩薩霊験記(しほんちょしょくじぞうぼさつれいげんき) 
(指)国指定重要文化財(昭和34年6月27日指定)
(在)富岡市妙義町妙義
(有)妙義神社(東京国立博物館保管)