19 群馬県稚蚕人工飼料センター   所在地:高崎市金古町909−1

 蚕の稚蚕時の飼料となる専用桑園の確保と採桑、飼育などの省力化、蚕病予防などから、1,2,3齢時を共同飼育所に委託して環境良化による成育の揃い、養蚕農家の労力削減をするためには人工飼料が不可欠なものになりました。
 
 稚蚕人工飼料センターでは、乾燥桑葉粉末、デンプン、脱脂大豆粉末、ビタミンなど蚕に必要な栄養素を混合して羊羹状にした稚蚕用の飼料を製造しています。
 昭和52年(1977)、実用化パイロット事業として旧佐波郡東村に製造施設(湿体1.2トン/日規模)を設置。53年春蚕期からモデル飼育を開始しました。55年、農林水産省蚕糸試験場養蚕部が筑波に移転したことに伴い、関根桑園579アールを譲り受け、稚蚕人工飼料センター(湿体6トン/日規模)を建設しました。

 隣接する総合スポーツセンター施設整備のため、高崎市金古町に人工飼料センター建設と付設桑園を造成。安中市には付設桑園の造成と管理棟を建設し、平成7年4月に事業を開始しました。この年は、掃立箱数37,279箱、普及率74.6%でした。 (橋)

群馬県稚蚕人工飼料センター

群馬県稚蚕人工飼料センター
     


20 旧碓氷社本社事務所    
所在地:安中市原市2−10−16

 明治10年(1877)、前橋に始まった「改良座繰」と称した座繰生糸の共同組織化の動きに共鳴、また、当時の生糸の粗悪品に憤激し、地域の有志を糾合して11年「碓氷座繰製糸社」を設立、座繰生糸の改良統一と共同販売の道を開きました。当初13組合でしたが、大正6年(1917)には181組合にまで発展しました。
 
 明治38年(1905)、原市に桁行10間・梁間6間、木造瓦葺き入母屋作りの2階建てで造られました。小屋組・軸組は洋風の構造で窓ガラスはフランス製と思われる板ガラスが使われています。建物の意匠(デザイン)は和風で、明治時代に建てられた「近代和風」の代表的な建物です。
 特に、2階は客間2室と「百畳敷き」と呼ばれる大広間があり、組長会議、各種会合や技術統一のための講演会が開催されたと思われます。(橋)
・群馬県指定重要文化財 平成3年2月26日指定

旧碓氷社本社事務所

旧碓氷社本社事務所


21 旧模範工場桐生撚糸合資会社事務所棟   
所在地:桐生市巴町2−1832−13

 明治末期、国の殖産興業施策によって明治35年(1902)広大な工場・桐生撚糸合資会社が設立されました。

 鋸(のこぎり)屋根にフランス式の撚糸機を備えた模範工場の一つでした。
 明治41年(1908)に「模範工場桐生撚糸株式会社」、大正7年(1913)に「日本絹撚糸株式会社」となり、敷地も14,315坪でした。
 昭和19年(1944)に軍需工場となりましたが、戦後は再建されることはありませんでした。

 明治末から大正初期に建築された大谷石造りの洋風2階建て、約113坪の事務所棟だけが残っています。
 桐生市では、「桐生市近代化遺産絹撚記念館」として一般公開し、文化保護として利用しています。 (橋)
・桐生市指定重要文化財 平成6年10月14日指定

桐生撚糸合資会社事務棟

旧模範工場桐生撚糸合資会社事務棟(絹撚記念館)


22 旧前橋生糸検査所    
所在地:前橋市総社町 

 輸出生糸を対象とした国の検査機関は、横浜、神戸両港に設置され、明治29年(1896)に事業を開始しました。

 これに対し、内需用生糸検査は生糸の含有水分過多をはじめ商取引の円滑化や織物製品の品質向上を期するため、絹織物の産地である金沢・福井に命じ39年に生糸検査所が開設されました。
 一方、生産生糸の出荷先でのトラブルが絶えなかったことから、豊橋では大正10年(1921)に、京都では12年、丹後は昭和5年(1930)、甲府同6年、岡谷10年など、各地の生糸生産地で生糸検査所が開設されました。

 前橋は昭和17年(1942)4月、群馬県製糸業組合生糸検査所として南曲輪町(現:紅雲町)に設立されました。戦後、蚕糸統制会社は解散することになり、昭和23年(1948)8月、財団法人生糸協会の一員となり、内需用の国用生糸検査を行ってきました。
 昭和62年(1987)10月、地域医療施設整備のため移転についての申し入れがあり、平成元年6月現在地へ移転し業務を開始しましたが、近年の和装需要の激減、生糸生産の減少などから、平成15年3月廃止となりました。 (橋)

旧前橋生糸検査所

旧前橋生糸検査所



23 旧桐生織物会館     
所在地: 桐生市永楽町5−1

 昭和10年(1935)頃、織物産業は全盛期でした。好況最中の昭和9年に木造2階建てで、当時流行していたスクラッチタイル張りの外壁、青緑色の瓦葺きとモダンな会館を建築しました。
 
 建物は総2階で、大会議室を持つ形式です。織物関係の事務所も置かれ、桐生織物業界の作戦本部のようでした。

 現在でも「桐生織物記念館」として各種事務所や会議室、催事などに利用されています。 (橋)

・国登録有形文化財 平成9年5月7日登録

旧桐生織物会館(桐生織物記念館)

旧桐生織物会館(桐生織物記念館)


24 旧桐生高等染織学校
    所在地:桐生市天神町1−5−1

 織都桐生に繊維関係の高等教育機関をという願いから、大正5年(1916)に染織と紡織の二科で桐生高等染織学校が開校しました。
 その後、「桐生工業専門学校」を経て、昭和24年(1949)には「群馬大学工学部」となり現在に至っています。

 西洋木造建築の技法とデザインが採り入れられ、講堂内はハンマービームと呼ばれる屋根構造で教会のような雰囲気をかもし出しています。
 大正5年の創立時に建築された本館と講堂が記念館として残されています。昭和47年(1972)の大学校舎新築時に現在の場所に移転・復元され、群馬大学工学部同窓記念会館として利用されています。

・国登録有形文化財 平成10年12月11日登録

旧桐生高等染織学校

旧桐生高等染織学校
(群馬大学工学部同窓記念会館)


25 彦部家住宅     
所在地:桐生市広沢町

 彦部家の祖は、「高階(たかしな)朝臣家譜」によると、天武天皇の第一子、高市親王となっています。律令に従って臣籍降下、高階姓となりました。21代光朝(1216-77)の代に奥州斯波郡彦部郷に移り、彦部姓を名乗りました。

 時を経て、戦国時代、関東下向した関白近衛前嗣親子が上杉謙信に同行し、永禄3年(1560)桐生城入りをしました。前嗣警護ののため同行した彦部信勝は、近衛親子が帰京後も広沢郷に留まって、京との連絡に務めました。

 彦部家屋敷は、館を山麓に配置した典型定な中世の城の形態をしています。城を固めるというより、由緒ある家柄にふさわしい館として整えたと考えられています。
 また、彦部家は、江戸時代の後期から織物業を営み、有数の機業家として近年まで事業を続けて来たため、これに関連する建物や古文書が数多く残されています。
 桐生織物との関係では関ヶ原の合戦に竹竿280本と旗絹を献納しました。将軍足利義輝の侍女・小侍從からの「仁田山紬注文書」(天文17年(1548)6月)などの古文書の所有ばかりでなく、歴史の家の存続と維持管理、こうした家宝を守り続けておられます。 (橋)

・群馬県指定史跡 昭和51年5月7日指定
・国指定重要文化財 平成4年8月10日指定

彦部家住宅

彦部家住宅


26 旧大間々銀行    
所在地:みどり市大間々町1030

 大間々銀行は、現在コノドント館(大間々町歴史民俗館)として利用されています。

 大間々は、織都桐生の隣接地で生糸取引の拠点であったことから、明治16年(1883)に大間々銀行が開業しました。
 銀行は、昭和16年(1941)に群馬大同銀行(現在の群馬銀行)と合併し、大間々支店となり、同61年に移転しました。

 大間町では、この大正10年(1921)に建築された木骨石造タイル張りの2階建ての、当時としては斬新なデザインの洋風建築を修復し、復古調な感じのコノドント館(歴史民俗館)として、昭和63年(1988)に開館しました。

 コノドントとは、0.4〜1ミリくらいの小さな化石のことで、大間々町の林信悟さんが昭和33年(1958)に発見したことから、この館の名称となっています。 (橋)

旧大間々銀行

旧大間々銀行(コノドント館)



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